少しでも多くの日本人が様々な事実を知り、日本を復活させ、日本人がより良い環境になる事を願います。
木村正治さんのフェイスブックよりシェアさせて頂きました。
人工地震について、純心にまだ本当に人工地震など存在しないと思い込んでいる善良な方々のために改めて敢えて概略を述べます。
地震には自然発生の地震と核爆発や高周波軍事技術などを用いた軍事攻撃としての人工地震があります。
海底で核爆発を発生させると巨大津波が発生します。
これが東日本大震災と言われた大津波でした。
善良で純心な方々の中にはそれが信じられず、何故、いかなる理由で人工地震が仕掛けられるのかと素直に思っておられる方々もいます。
何故、人工地震を起こすのか?
それは例えば無理難題の金融政策や経済政策、或いは理不尽な要求を日本が呑まない時などに恫喝のために行使されます。
今やスーパーテクノロジーを使えば簡単に大地震を発生させる事ができ、相手国を破壊、弱体化させる事ができます。
言う事を聞かなければ人工地震で東京や大都市
を破壊するぞ、と恫喝してきます。
1997年の時点で既に、コーエン国防長官が
アメリカのアトランタ大学で1200名の大学生
を前に講演し、
「今ではテクノロジーを使えば、火山噴火や
巨大地震、巨大津波、集中豪雨、異常干ばつ、
巨大台風、ハリケーン等は自由自在に操ることが
できる。」と述べています。
もう24年前にこのように公言されているのですから、今や遥かに異次元の軍事技術でとてつもない自然災害を装った軍事攻撃が可能である事は火を見るよりも明らかですね。
また1980年代以前の新聞をよく見返してください。
当たり前のようにゼネコンによる耐震実験のための人工地震が記事になっています。
開発のために地盤調査、耐震強度の実験として
ゼネコンが地震を発生させていました。
これも人工地震です。
時には想定より揺れ過ぎて、新幹線が運行停止
になった事もあり記事になっています。
では、2011年3月11日の東日本大震災
と言われた大津波はどうだったのでしょうか?
結論から言えば、日本を壊滅させてから再び占領
して資産を根こそぎ奪い、また日本人の殲滅を
狙ったディープステイト(闇の権力)が
海底核爆発を起こして
大津波を発生させ、更には予め仕掛けていた小型
核爆弾を爆破して福島原発を爆破したものでした。
あの東日本大震災は揺れによる犠牲者は数名に
過ぎず、ほとんどの犠牲者は大津波によるもの
でした。
ディープステイトは半年以上の時間をかけて東北地方の沖から関東の沖まで400キロ近い距離に渡り海底に核爆弾を埋設していきました。
そのための核爆弾の製造には自衛隊員が下請け作業として使われています。
大津波発生後、3名で1組の何組かのチームに
されて多数の小型核爆弾の製造に携わった自衛隊員はことごとく、口封じのために殺害されました。
しかし奇跡的に1名の自衛隊員がある強力な牧師
のもとに逃げ込む事に成功し、
一部始終を告白、その牧師が世の中に発表したことから人工地震の事実が明らかになったのです。
またそれ以降、様々な内部告発が行われており、
10年が経過する今では実に多くの内部告発動画
や本が出ています。
その生き残った自衛隊員は強力な牧師ネットワークにより匿われており、いつか証言をするとされています。
脅迫された自衛隊員により製造された小型核爆弾
のうちの幾つかは、中曽根康弘元首相の山荘に
一時保管されて後、実行のために運び出されました。
ですから中曽根康弘元首相も東日本大震災、大津波の実行犯の一人でした。
もうこの世にはおられませんが。
中丸薫先生の講演会での内容によれば、大津波
が発生する3週間近く前のある日に多くのセレブや有力者が東京都内の帝国ホテルの地下会場に召集され、
そこで間もなく東北地方は海底に沈み消滅すると説明を受けて映し出された巨大スクリーンには宮城県、福島県、山形県が消滅して海になっていて
北海道が孤島になっている日本地図が映されたとのことです。
「この日は東北地方には行かないように。」とアナウンスされたそうです。
全ては予め仕組まれていたのです。
時々、このような事を話すのは犠牲者への冒涜だ
という人がいます。
逆です。
何故、あの日の方々は犠牲になったのか、本当は
何があったのかを知ることが犠牲者への真の鎮魂
となり、また事実を伝えないことこそが犠牲者
への冒涜になります。
当時は菅直人内閣でした。
ディープステイト、ヒラリー・クリントンによる
恫喝はこれまで何度か述べてきました。
私が東日本大津波の事実を知らされたのは2011年5月頃でした。
大津波発生時点では私は知らないまま、自然災害
だと認識していました。
そして私(木村さん)が初めて人前で述べたのは2011年7月に大阪市内で催された保守グループによる勉強会の場でした。
数分間のスピーチを依頼された私は当時は東大阪市議会議員の2期目でした。
私があの大津波の事実はこのような内容だった
皆さん知らなければならないという旨のスピーチ
をしていると、
会場の中から数名が大声を張り上げ、「そのような話をするな!!」と私の話を遮り、
また会場の中にいる女性が金切り声を挙げ、「これは犠牲者への冒涜です!」と叫びました。
私は衝撃を受けました。
日本があれ程の軍事攻撃を受けた事実を話して
いるのに、それを日本人が拒絶する、その風景
に衝撃を受けました。
これのどこが一体保守なのか、と怒りが沸き上がってきました。
同時に日本には健全な保守はいないと感じた
瞬間でもありました。
あれから10年が経過しようとしています。
今ではかなり多くの人々が人工地震について知るようになり、かなり環境や空気も変わってきています。
しかしまだまだ知らない人々も少なくありません。
これ程の事実を前に、知らない事はもはや害です。
知らなければ犠牲になった方々の御霊が浮かばれ
ません。
少しでも多くの日本人が様々な事実を知り、日本を復活させ、日本人がより良い環境になる事を願います。
事実は小説より奇なりです。
シェア終わり
ありがとうございました。
311の年に福島と宮城に、行った時の事を思い出しました
これからも東北のために祈り続けます。
以下は、サカグチマコトさんのフェイスブックより
ありがとうございました。
<転載終了>